ササメユキ




今日は朝から冬特有の張り詰めた寒さが漂っていた。
最近暖かい日が続いていたから珍しいと思っていたけれど、どうやら雪が降り始めたらしい。

珍しいことに今日はドラマの撮影がなく、雑誌の取材が一つという近年稀なゆったりとした時間が流れていた。
社さんが事務所で打ち合わせがあるということで一緒に戻って来たはいいものの、することもなく暇を持て余してしまった。
足の赴くままに椹さんを訪ねて行ったら、苦笑されてしまった。

『うちの売れっ子達は実はそんなに売れていないのかな』

なんて笑いながら言われるものだから理由を問うとどうやら俺の前にも暇を持て余した人が来ていたらしい。
ついでだから彼女を誘って昼でも食べて来い、と簡単に言われてしまった。

社長も社さんも椹さんも俺の気持ちを知っていながら簡単に言ってくれる。
いや、正しくは俺の気持ちを知っているから、だろうか。
たぶん彼らは俺を応援してくれているのだろうと思う。
が、俺にとって彼女を誘うということがどれほど勇気がいることなのかもう少しわかって欲しい。

彼女は。
俺を尊敬する先輩としてみていながらも、根本的なところでは俺を拒絶している。
それに気付いたのは、あの不破尚と彼女が話しているのを見たときだった。
あいつに言えて俺に言えないことがある。それがこんなにもショックなことだとは思いもしなかった。
それはたぶん、一緒に過ごした時間が絶対的に違うからだろうとは思う。
そして俺とあいつのこの差が縮まることは永遠にない。

彼女と再会した当初(その時はあのキョーコちゃんだなんて思いもしなかったけれど)彼女はこの世の誰よりもあいつを憎んでいた。
なのに気が付いたら誰よりも近しい幼馴染として当たり前のように付き合うようになっていた。
彼女達の間に何があったのか俺にはわからない。
彼女は俺に何も話してくれないから。
ただ、俺には尊敬する先輩として、他人として一線を引く彼女が、あいつにだけは引かない事実に愕然とした。
数多くいる人間の中で彼女が無条件に受け入れるのがあいつ。
琴南さんでもマリアちゃんでも椹さんでもなく、あいつ。
それがどれほどショックで苦しいことかなんて誰にもわからないだろう。



窓の外に間断なく降り続ける儚い雪がどことなく彼女を連想させる。
誰もが求める温もりに触れた瞬間溶けて消える、そんな儚さが。

いつだって抱きしめたいと思っている。
けれどそれを本当にしてしまったら、彼女は永遠に俺に近づいてくれないだろうと何故だかわかってしまう。
想いを伝えることも触れることも出来ずに、ただあいつと微笑む彼女を遠くから見つめることしか出来ない愚かな自分。
傷付けないように悲しませないように俺なら守ってあげられると思うのに。彼女に必要なのは俺よりもあいつなのだろうか。


人気のない廊下を歩きながら、時折窓の外に目をやる。
そこには一瞬前となんら変わることのない白い雪が舞っていた。


(ああ、そうか・・・)

幼かった自分は雪が嫌いなはずだった。
それがなぜか最近は見るとほっとして、嬉しくなる。
その理由が今、わかってしまった。
雪は彼女を連想させるなんてものじゃない。当の昔に俺は彼女と雪を同一視していたのだ。
雪を見ると滅多に逢えない彼女を思い出せるから。なんとなく傍に在るような気がするから。
だから。


この儚さと、美しさが、彼女そのものなのだ。




まるで雪に魅入られたかのように、外に降る雪と同じく溶けて消えてしまいそうに彼女が廊下に佇んでいる。
そこにいるのは俺の知っている最上キョーコという女の子ではなくて、人生を達観した一人の女性だった。
それがあまりに哀しくて、少しでも早く俺の知っている、俺のいるこの世界で生きている彼女に戻って欲しくて急ぎ彼女に近づいた。

触れたいのを我慢しながら。


「こんなところで何してるの?」

自身の葛藤を押し殺しながら何でもない風を装って彼女に話しかける。
俺はこんなことを今までに何度してきたのだろう。そしてこれから何度するのだろう。
彼女は俺の自嘲を知らずにいつものように丁寧な挨拶を返してきた。
その他人行儀な様子に溜息がもれそうになるが、そんな僅かな吐息ですらも彼女を溶かしてしまうかもしれない。


「雪が、降ってるんです」

ぽつり、と。
そう呟いて窓の外を見遣る。
それにつられて俺も見るけれど雪よりも彼女が気になった。


「綺麗だね」

君は。そう言いたいのを抑えた。
ロマンティックな君はきっとこんな雪が好きなんだろうと思ったけれど、返ってきたのは躊躇いがちな同意。
そう思っていないことなど手に取るようにわかってしまう同意だった。


何もないと微笑む君があまりに残酷で、きっとあいつならその理由を知っているのだろうと思うとくやしくて、ここにはいないあいつに憤りを覚えた。
今、誰よりも彼女の傍にいるのは俺のはずなのに何故か俺よりも近くにあいつの存在を感じる。
少しでも彼女との距離を縮めたくて一歩近づいた。
決して触れないように細心の注意を払いながら。

ねえ、君のその何もないという言葉を信じるほどに俺は愚かだと思われているのかな。

彼女の否定にほっとしたのも束の間、彼女はそれ以上の絶望を俺に与えてくれた。

「ええ。私は、敦賀さん。何もかもを敦賀さんに話すつもりはありません。
敦賀さんは初めから私が芸能界入りした理由をご存知でした。
そういった意味ではもしかしたら、モー子さんよりも私に近いのかもしれません。
けれどだからといって敦賀さんが私のことを知っているかと言うとそうではないと思います。私も知ってもらおうとは思いません」

そう言って、さっきまでの儚さが嘘のように強い眼差しで俺を見上げた。
その完全なる拒絶になぜ、と詰め寄りたいのを必死で押し殺すために息を吐き出す。
それが彼女の瞳には溜息に映ることを願って。


「お昼は食べた?まだだったら一緒にどうかな」


出来うる限り平静を装って彼女に笑いかけるピエロのような自分が雪が降り続ける窓に哀れに映った。
哀れな自分と儚い君。
傍に在るはずなのに決して触れることの出来ない白い雪。

どこにも降り積もることの出来ない俺の恋心が行き場を失くして漂う。
君の上に気付かれることのない虚しい愛を。






君という雪に触れることが叶うなら。  06.03.27


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