ササメユキ
ありふれた(決して敦賀さんのような人が行ってはいけない)ファミレスで向かい合って座っている目の前の人を見つめる。
見つめるというより、眺める、といった方が正しいかもしれない。
その視線はまるでブラウン管を通して嬌声を上げる日本中にいるであろうこの人のファンの子達となんら変わりはないだろうから。
もしかしたら、目の前にいる私のほうが彼女達よりも本当はもっとこの人より遠いのかも。
だって、決して逢うことの出来ないブラウン管の中の好きな人よりも、目の前にありながら決して触れることの出来ない愛する人の方が何倍も辛い。
「最上さん?俺の顔に何かついてるかな」
じっと、食べる手すら止めて敦賀さんの顔を見続ける私を不審に思ったのだろう少し笑いながら尋ねてくる。
どうしてこの人は、こんなにも朗らかにいつも笑っているのだろう。
この笑顔を見るたびに触れたくなる。想いを告げたくなる。愛して欲しくなる。
決して望んではいけないと解っているのに。
「ついてますよ・・・目と鼻と口と・・・」
「・・・君も古典的なギャグを言うんだね・・・」
呆れ気味の口調でやれやれ、と溜息をつくその姿にすらも魅了されてしまう。
たまらなくなって手元のハンバーグに目を落とす。
先ほどから全然減っていない大好きなはずのそれ。
おいしいことなんて知っているけれど、食べるそのことよりも、貴方を見ていたいその欲求の方が激しいから。
だからいまだけは貴方を私の視界に映すことを許して欲しい。
ただの後輩というスタンスを絶対に崩さない、から・・・。
「雪はやんだみたいだね」
「ほんとだ・・・」
敦賀さんの独り言なのかどうかわからない呟きを拾った私は、敦賀さんに聞こえるギリギリの声で相槌を打つ。
二人で見る窓の外の景色は今までの哀しいほどの美しさと淋しいほどの静けさが綺麗に消え去って、いつものありふれた日常へと戻っていた。
そんな景色に心のどこかで安堵しつつ、向かいに座るその端正な顔を気付かれないようにそっと見遣る。
その顔にどこか違和感を感じて
「もしかして、敦賀さん。明日の撮影外・・・ですか?」
「どうして?」
「いえ、雪がやんでよかったって思ってるようでしたから・・・当たり、ですか?」
少し茶目っ気を出して上目遣いににこっと笑う。
そんな私に敦賀さんはまたやれやれといった感じに肩をすくめた。
どうしてこんな気障なはずの仕草が絵になってしまうんだろう。
ひきつけられずにはいられない。
「君には敵わないな。・・・そろそろ戻ろうか」
そう言って自然な仕草で伝票を持ち席を立つ。
また奢ってもらうことになっちゃうと慌てるけれど、私よりも少し前を歩く敦賀さんは振り返って軽く片目を瞑った。
それは明らかに黙って奢られろ、という合図で。
今度お礼にお弁当でも作ってこようと思った。
いつものように車のドアを開けて私を先に乗せてくれる紳士な敦賀さんは私が乗ったのを確かめると静かにドアを閉めて運転席に回った。
シートベルトを締めて、後方を確認して、私の方へ向き直りにっこりと笑った。
「最上さん、今日一日時間あるんだよね。社さんがちょっと体調崩してるみたいでね、最上さんさえ良ければ社さんの補佐についてくれないかな。
椹さんや松島さんの了解はきちんと取り付けとくよ」
口調はお願いだったけれどもその笑顔はまさか断ったりしないよね、と私を脅していた。
敦賀さんのその笑顔に顔を引き攣らせつつ私は小さく何度か頷いた。
社さんにはとってもお世話になっているし、私がお手伝いできることなんでほとんどないだろうけれど。
それに敦賀さんの演技を間近に見れるまたとないチャンス。そして貴方の傍にいれる――――。
事務所に社さんを迎えに行って、私は後部座席に動いた。
社さんはそのまま助手席に座っていていいって言ってくれたけれど、後ろの方が敦賀さんを見ていることが出来るから。
なんてことは言わないけど。
一日、敦賀さんの横顔を見ていた。
俳優の顔。
共演者を優しく慰める顔。
共演者と楽しそうに笑う顔。
そんな彼をただの後輩として、マネージャー助手として見つめるのは思っていたより辛かった。
気を抜くと頭をもたげてくる嫉妬。
彼には自分だけを見ていて欲しい、なんて自分勝手にも程がある激情がこみ上げてくる。
(私、なんてわがままなんだろう・・・)
恐くて、彼との関係を変えたくなくて、永遠に封じ込めると決めたこの想いをこんなにも簡単に表に出そうとするなんて。
目の前にいる何の関係もない、共演者の女優さんを気を抜くと睨みつけようとするなんて。
こんな自分に吐き気がこみ上げる。
「どうかした?キョーコちゃん」
暗い暗い私の物思いに終止符をうったのは敦賀さんのマネージャーの社さんだった。
いつものように柔らかな微笑を浮かべ、今は少し心配そうに眉を曇らせている。
社さんはとても優しそうで、本当に優しい人だった。
私と敦賀さんが同じ事務所だというただそれだけで、いつだって私のことを気に掛けてくれる。
マネージャー助手なんていっても実際何の役にも立っていない私に向かって『今日はキョーコちゃんがいてくれたから助かったよ』と優しく言ってくれる人だ。
兄弟なんていない私はお兄ちゃんがいたらこんな感じかななんて、社さんに知られたらきっと迷惑に思われるようなことを思っている。
「もしかして疲れた?ごめんね〜〜。折角のお休みなのに蓮のわがままに付き合わせちゃって」
後で蓮には俺からきつ〜く言っておくからね!と鼻息も荒く言う社さんにふっと心が洗われた様な気がする。
社さんはいつも私の心がどうしようもなく荒れている時に声を掛けてくれる。
それはきっと偶然なのだろうけれど(偶然でなかったら私が困る)社さんの言葉に救われたのは一度や二度のことではない。
「全然平気です。今日は連れて来てもらえてよかったです。すっごく勉強になりましたから。
けれど、社さんの方が大変じゃないですか?いつも敦賀さんと一緒なんでしょう?」
「そうなんだよ〜〜。蓮ってばさ、」
にこにこと敦賀さんのことを話す社さんに少し、嫉妬した。
この人は間違いなく敦賀さんの一番近い位置にいる人なんだろう。
一番の理解者。敦賀さんが信頼している人。
ただの後輩に過ぎない私なんかとは比べるべくもない人。
うらやましい、なんて思っちゃいけないのはわかっているけれど。
「社さん。もうそこまでにしてくださいよ」
私たちが話している後ろから力なく声を掛けてきた。
弱りきっているようなけれどどこか楽しそうな声。
「最上さん、今日はありがとう。もう俺これで終りだから送っていくよ」
「ああ、そうした方がいい。俺は事務所に寄るから。蓮、明日遅れるなよ」
まだ時間的に早いから大丈夫だと言ったけれど左右から「女の子を一人で帰すわけにはいかない」と言われてしまい、渋々送ってもらうことになった。
もう一度二人きりになるなんて・・・これ以上敦賀さんとの距離を目の当たりにするのは耐えられないのに。
車の中で私はうっかり眠ってしまっていたらしい。
唇に何か温かい物が触れて私は目を覚ました。
目を開けると、すぐそばに伏せた切れ長の目があって・・・。
敦賀さんにキスされていると解った瞬間激しく敦賀さんを突き放した。
どうして、どうして私にキスなんてするんですか。
・・・どうして・・・。
温もりなんていらない。 06.05.27