ササメユキ




どうしようもなかった。横で、狂おしいほどに愛している女の子が無防備に眠っていたら、どうしても触れたくなった。
触れずにはいられなかった。触れてしまえば、お仕舞いだと分かってはいたのだけれど。もうこれ以上荒れ狂う感情を抑えておくことは出来なかった。
それでも精一杯激情を押さえつけて、ただ触れるだけのキスを彼女に。
もっと深く激しく彼女を知りたかったし、俺のことも知ってほしかった。


そんなこと叶うはずもなかったけれど。





ふ、と目を開けた彼女は目を見開き、力いっぱい俺を突き飛ばした。
その瞳に映るのは、驚愕か軽蔑か。



「・・・・」


小さな小さな、聞き取れないほどの小声で彼女は何事かを囁いた。
俺はそれが俺を罵るための言葉であることを知っているからこそ、聞き返すこともできず無様に彼女を見つめるだけだった。
彼女はガタガタ震えながら、細い小さな自分の身体をぎゅっと抱きしめている。
まるで、恐怖から少しでも身を守ろうとするかのように。


「・・・どうし、て・・・?どうして、キ、ス・・・なんてするの?」

彼女の疑問に、なぜ罵倒よりも先にその疑問が浮かぶのかを不思議に思いながら、俺はその疑問になんと答えようかと頭をめぐらす。
彼女にこの俺の想いを伝えてもよいのだろうか。
彼女は俺のこの想いを受け止めてくれるだろうか。


「俺が、君を、好き、だからだよ」


俺がその言葉を宙に放った瞬間、すごい勢いで彼女は顔を上げ、信じられないものを見るような目で俺を凝視する。
そしてその可憐な唇が小さく動く。

う・・・そ・・・よ・・・・・・?
なぜ、嘘だなんて?俺はいつだって君のことしか見ていないのに。
言葉で伝わらないのなら、行動で伝えるまで。

俺はいまだシートベルトに縛られて動けない彼女の上に身を乗り出し、もう一度唇を重ねた。
動けないように、逃げられないように、後頭部に手を添え、深く深く。限りなく深く。
何度も繰り返し繰り返し、開かない唇を舌でなぞり軽く噛む。
耐え切れず隙間が出来た唇をさらに強引に開いて、口腔内を蹂躙する。
逃げ惑う舌を捉え絡ませた。
呼吸すらもさせまいと彼女が感じるのは俺だけでいいから。餓えた獣みたいに。


そっと最後は優しく音が鳴るように唇を放すと、彼女は乱れた苦しそうな息の下震える声で、なぜ、と繰り返す。
どうして、と。そう問う彼女に答える言葉はもう俺にはなかった。
伝えても伝わらないのなら、どうすればいい?
君は信じてもくれないのに、俺は何を言えばいい?
もうどうすればいいのかわからない。教えてほしい。どうやったら君に信じてもらえるんだろう。
君に信じてもらうためなら、君にこの想いを受け入れてもらうためなら、俺は悪魔に魂を売ることだってしてしまうだろう。
それほどに君を愛しているのに。



もう何も言葉が出なくて、ただ一心に彼女をみつめた。
そうすればこの心の一欠片でも君に届くんじゃないかと思って。



「敦賀さん・・・?」

恐怖と驚愕に慄いていた彼女が震える声で、されど不思議そうに俺の名前を呼ぶ。
その理由がわからなくて、首を傾げると、おそるおそる彼女は俺の頬に手を添えた。

「どうして、泣いているんですか・・・?」

温かい手が優しく俺の頬を伝う涙をすくう。
そうなって初めて俺は自分が泣いていることに気付いた。
情けないと思いながら、けれど己の意思では涙を止めることなど出来なかった。
頬に触れる優しい温もりに、俺もそっと手を重ね、唇を当てる。

「君を、愛しているから。どうしようもなく、君を愛しているから。
どうすればこの想いが君に伝わるのかがわからない。愛してほしい。なんて願わない。
せめて、俺のこの想いを否定しないで。嘘だなんて決め付けないで」


必死で言い募る。みっともないとか、かっこ悪いとか、そんなこと、そんなくだらないプライドなんてどうでもいい。
ただ、彼女に信じてほしかった。
俺の言葉に彼女は少し目を細め、静かにシートベルトを外した。

きっとこのまま車外に出て行くんだろうと思っていたら、彼女は身を起こしゆっくりとした動作で俺に近づいてきた。
そして・・・俺たちの距離がゼロになる。




今起きたことが信じられなくて。確かに唇に触れた温もりをほんの少しでもとどめようと俺は己の唇に触れる。
そんな俺の様子を少し笑いながら眺める彼女はとても綺麗で。
涙に濡れていた俺の瞼をそっと拭ってくれる。


「私も、貴方が好きです。敦賀さん。
決してこの想いは伝わらないと思っていました。だから、さっきの出来事は夢だと思った・・・。
私の恋心なんてこの外に降り積もる雪のように、積もってそしていつか消えてしまえばいいと思ってた。
そうすれば何もなかったことにしてしまえるのに。ずっとずっと自分を欺いていれば、いつかきっとそれが本当になるんじゃないかって。そう、思ってました・・・」

敦賀さんが好きです。だから、泣かないで。そう言って優しく淡く微笑む彼女が消えてしまいそうで。
急いで抱きしめた。


「君は俺にとって雪みたいな存在だった。綺麗で儚くて、触れれば溶けて消えてしまいそうだった。
だから触れるのが怖くて、けれどどうしても触れずにはおれなかったんだ。君が愛しすぎて」
「ふふっ。じゃあ、私たちはお互いがお互いのことを思っているが故に、自分たちを縛っていたんですね」


そう言って俺を見上げる最上さんにもう一度優しく口付ける。
もう二度と放さないと誓いながら。






車の外では一度やんだ雪がまた降り始め、ゆっくりと世界を白く染め始めている。
この雪はきっと夜が明ける前に溶けて消えてしまうだろうけれど、今俺の腕の中にいる温かく優しい雪は消えたりはしない。
ただ、優しい時間を二人で共有していた。







温かな純白の世界で君と。  08.10.20