幸せの中で




「ふぅ」

事務所の社員食堂のテーブルで一人コーヒーを飲んで、溜息を吐く。
その溜息は諦めや哀しみによるものではなくて。
身体を支配する心地いい倦怠感からだった。


ラブミー部をまだ卒業こそしてはいなかったが、タレント、女優としての仕事がコンスタントに入るようになって久しい。
専属ではないが、マネージャーさんも付いてくれるようになった。
といってもいないことのほうが多いけれど。
それでも少しずつでも自分が成長できているのだと実感できる。
ほんの少しだけれどファンレターを貰うようにもなっていたし。

初めてファンレターを貰った時、嬉しくて嬉しくて眠れなかった。
何度も何度も読み返して、諳んじれるようになったほどだ。
そして、そうなってようやく社長の「芸能人は人から愛されなければ駄目だ」という言葉の意味を理解した。

私たち(と言ってはおこがましいかもしれないけれど)芸能人は聴衆に愛され、望まれなければ存在していけないのだ。
人から愛されようと思えば、まず、自分から愛さなければならないことも。


けれど自分の変化はきっとファンレターを貰った事だけがきっかけじゃない。
きっと私自身が人から愛され、大切にされ、尊重され、慈しまれるようになったから。
一人の人によって。




「おはよう、キョーコちゃん」


今まさに想いを馳せていた人の突然の登場に驚いて固まってしまった。
そんな私を見て、悪戯が成功した子供のような笑顔を見せる敦賀さん。

「そんなにびっくりした?目がこぼれてしまいそうだ」

まだまだ笑いがおさまらないのか、くすくす笑いながら私の前に座っていいかと聞く。
私は中々驚きから立ち直れずにいたが、とりあえず身振りだけでどうぞと示した。
目の前では楽しそうに敦賀さんが笑っていた。


「ど、どうしたんですか?こんなところで」
「別に何かあったわけじゃないよ。社さんがちょっと主任に呼ばれたから、暇してたんだ。
そうしたら、君が見えたから。
見てしまったら君と話したくなったんだ。・・・迷惑だったかな」


全然そんなこと思ってもないくせにわざとらしく上目遣いで聞いてくる人。
思ってないことなんてわかっているけれど、そんな風に言われるとどうしても力いっぱい否定してしまう。


ぶんぶんと音が鳴るぐらい強く首を振って意思を示した私にまたまた優しい微笑みを見せ、そっと頭を撫でてくれた。



「なんだか嬉しそうだったね。何かあったの?」
「何かがあったというわけではないのですが・・・。
幸せだなぁと思って。少し前の私では想像も出来ないほどの幸せに包まれていることを感じて」


一旦言葉を止めると、目の前の優しい人は目だけでそっと先を促す。
そんな些細なことにも私は幸福を感じることが出来る。

「女優やタレントとしてのお仕事が増えてきて、そりゃ敦賀さんの足元にはまだまだ及びませんけれど、いろんな人に名前を呼んでもらえるんです。
よかったよ、とかまた一緒に仕事しようねとか、そんな言葉もたくさんもらえて。
まさか自分にこんな幸せな毎日が訪れるとは思ってもみなかったんです。
社長が何故あんなにも『愛』を大切にするのかもわかって・・・。
ファンレターを初めて貰ったときも嬉しかった」



ふふっと少しその時のことを思い出して笑い、敦賀さんに目をやると彼はいつものように優しく微笑んでくれていたけれど目には何故か少し意地悪な輝きが宿っていた。


「ふーん。キョーコちゃんが幸せや嬉しいと感じるのはファンやスタッフだけのおかげなんだ?
好きな人と想いが通じ合ったとか、恋人になれて嬉しいとか、恋人と逢えて幸せ、とかは感じてはくれないんだね」

俺はこんなにもキョーコちゃんに逢えて嬉しいと思ってるのに。と大げさに言ってくれる。

「なっ!!誰がそんなこと言いました?!私だって、その・・・逢えて嬉しいとか・・・」

恥かしくて段々声が小さくなってくる。
こんなこと社員食堂で言うことでもないだろうし。

「本当に?本当にそう思ってくれてる?
俺と逢えて嬉しいって」
「当たり前じゃないですかっ」
「そっか。でもね、俺の繊細な心はさっきの君の言葉にひどく傷ついたんだよ。
だからね、もし悪いと思ってるのなら・・・」


にやりと意地の悪い笑みを見せて信じられない言葉を繋ぐ。

「ここでキスしてくれる?」
「!!」


衝撃で言葉も出てこず口をぱくぱくさせる私に敦賀さんはいっそお見事と言っていいほどの笑顔で話し続ける。

「やっぱり思ってくれてないんだ?
だって思ってくれてたら傷ついた恋人を慰めることぐらいしてくれてもいいよね」
「なっ!そっ。あっ」

意味もわからない言葉を発し続ける私の前で敦賀さんは笑顔のまま。
自分でもゆでだこのように顔が真っ赤になっていることがわかる。


「れ〜〜ん〜〜。もうそのくらいにしとけ、キョーコちゃんを苛めるの」


救いの手は意外な所から現れた。
私たちが座っているテーブルの横には敦賀さんのマネージャー社さんが。
彼の後ろに後光が煌いているように見えたのは、決して私の見間違いではないと思う。


「ひどいなぁ、社さん。
いつ俺がキョーコちゃんを苛めたんですか。
ただちょっと恋人としておねだりをしただけですよ。ねっ、キョーコちゃん?」

その言葉に頷くことも否定することも出来ずに困っていると社さんがまたも救いの手を差し伸べてくれた。

「気にしなくていいよ、キョーコちゃん。
こいつは調子に乗らせるとうるさいからね。
ほら、蓮。もう移動しないと次の仕事に遅れるぞ」
「残念。あともうちょっとだったのに。
じゃ、また後で電話するよ」


拍子抜けするほど簡単に席を立つ敦賀さんにまた、からかわれたのだと気付いた。
けれど仕事に向かおうとする敦賀さんに文句を言えるはずもなく、立ち上がって二人を見送る。

「あっはい。お疲れ様です。
・・・いってらっしゃい、敦賀さん、社さん」

私の言葉にちょっと驚いたように足を止めて目を見開く。
そして私の耳元に口を近づけて・・・。



「なんだかその台詞夫を見送る奥さんみたいだね」


そう言われて、顔をまたまた真っ赤にしてしまったけれど負けっぱなしもくやしい。


「いってらっしゃい。お仕事頑張ってね、蓮」


精一杯の強がりで敦賀さんの背中に向けて言ってみた。
敦賀さんは歩調を緩めることもなく、動揺した様子も見せず振り返らずに片手を上げる。


結局私の恥かしがり損になってしまった。
食堂中の視線が突き刺さっているような気もしたけれど。




まぁ、幸せだからいいか。






































「いってらっしゃい。お仕事頑張ってね、蓮」


彼女の言葉に不覚にも動揺してしまった。
けれど長年培ってきた演技力で誰にも気付かれることなく対処できたと思う。
そう、たった一人を除いて。


「あれっ?蓮顔赤いけど風邪じゃないだろうな〜〜」

そう言ってニヤニヤと笑う社さん。

「社さん、もう勘弁してくださいよ・・・」
「いや〜〜でもキョーコちゃんも成長したな。
あの敦賀蓮を赤面させるなんて。きっと彼女にしか出来ないことだな」


笑い続ける社さんに深い溜息をつく。
しばらくはこのネタでからかわれ続けるだろうとは思うけれど。


まぁ、幸せだからいいか。





ご迷惑をお掛けしました企画。
ということでこちらもフリー。
ちょっと頑張って甘いのを目指してみましたが玉砕。
終わりそうになかったので強制終了。
よければもらってやってください。
              05.09.13