バレンタインキッス
今にも鼻唄が聞こえてきそうなほどご機嫌な様子で俺の横を歩く担当俳優を横目で見る。
彼の顔にも、背景にも『幸せです』とデカデカと書いてあった。
常に柔和で温和で友好的な笑顔を浮かべている彼ではあるが、ここまで締まりのない顔を人前にさらすことは滅多にない。
この顔だけで何があったのかおぼろげながらもわかってしまう。
こいつにこんな顔をさせられるのは広い世の中、ただ一人だ。
(それにしてもこいつがこんなに解りやすい奴だとは思ってもみなかった・・・)
「蓮。いい加減にやにや笑うのやめろ。『敦賀蓮』のイメージが壊れるだろ」
「いやだな、社さん。俺にやにやなんてしてませんよ」
と、にやにやしながら答えられても説得力は皆無だ。
おそらく、自覚がないのだろうが・・・。
『恋は人を変える』とはよく言うが、ここまで変わってしまうとは思ってもみなかった。
ましてや恋が叶ったならともかく、恋を自覚しただけでだ。
これから先万が一こいつが振られてしまったら、などと心配性な俺は思ってしまう。
たぶんこいつのことだからうまく丸め込んでしまうんだろうが。
「で、何がそんなに嬉しいんだ?」
「今日が何の日か知らないんですか?」
「・・・は?・・・」
『驚愕』と顔に貼り付けて驚くこいつにしみじみと変わったなと思う。
まさかこいつがこんなにお茶目な奴だとは思っても見なかった。
まず間違いなく片想いの相手に似てきていると思う。
いや、最近はこいつの方がドリーマーなような気がする。
あの子はなんだかんだといって実際はかなりの現実主義だから。
蓮の様子に『驚愕』している俺に溜息を一つついて「今日が何の日か」について講義をしてくれた。
「今日は3月14日。ホワイトデーですよ」
「ホワイトデー!?」
(それがどうしてそんなに楽しいんだ!?)
蓮の思考回路についていけず頭の中ではてなマークが飛び交う。
かつてこいつがそんな乙女な行事に興味を持っていた記憶がない。
そもそもこいつがバレンタインにもらうチョコの量は半端じゃなく一つ一つにお礼なんで出来るはずもない。
おそらく、「お返し」を貰っていたのは社長の孫であるマリアちゃんぐらいなものだったろう。
それがなんだって今年はこんなにも楽しみにしてるんだ?
「今年は最上さんに貰いましたからね。しかも手作りを。
彼女へ当然お返しを渡さなければならないでしょう?会いに行く口実が出来るんですよ」
そう嬉しそうに話す蓮には決して言えないLMEのトップシークレットがある。
LMEの社員なら誰もが知っている超極秘事項。
それは・・・。
時は一ヶ月前の2月14日。
ラブミー部というかなり異色なセクションに所属するタレント最上キョーコは両手にいっぱいのチョコレートを持っていた。
本来なら休みであったが彼女的には決して外すことの出来ない一大イベントがあったため出社している。
もちろんラブミー部としてではないのであの目に毒なピンクつなぎは着用していない。
いつものように丁寧な挨拶を繰り返しつつ、手に持っていた可愛くラッピングされたチョコレートを配っていた。
そのチョコレートは昨夜下宿先のキッチンを借りて作ったものだ。
料理上手な彼女はかなり凝ったチョコレートを作った。
甘いものが苦手な人でも大丈夫なように彼女らしい気遣いを感じられるもの。
そうでなくとも不破尚のPV出演以来、徐々に人気が出ている彼女手作りのチョコということもあり貰った男性は有頂天。
LME内のあちこちで自慢するものが続出していた。
「椹さん!!おはようございます!!」
前方にデビュー以前(というより彼のおかげでLMEに入れた)からお世話になっている大の恩人を見つけて元気良く走り出した。
その様子を椹は苦笑と共に見守る。
彼女を見つけたのは彼といってもよく、彼女の成長を誰よりも心配そうにそしてあたたかく見ている椹だ。
出逢った当初よりもはるかに穏やかに笑うようになった彼女の姿が嬉しかった。
「おはよう、最上さん。今日は休みだったんじゃぁ・・・?」
「ええ、お休みだったんですが今日はバレンタインですからね!!チョコレートを持ってきたんです」
そう言って椹に今まで配っていたのとは明らかに違うものを差し出す。
「あれ?今まで配ってたものとちょっと違うね?」
「社さん!!おはようございます。・・・ええ。特にお世話になっている方には違うものを作ったんです。
社さんもどうぞ」
椹の後ろに立っていた社にも同じものを差し出した。
彼女の手にはあと一つ、同じ包みがある。
それの貰い主が気になった椹と社はお礼を言って彼女から包みを受け取り、尋ねた。
「これですか?これは社長さんの分です」
「幾つ作ったの?このチョコ」
「三つです」
にっこり微笑みながら答えたキョーコに椹と社は固まった。
「えっとキョーコちゃん?もう・・・蓮には渡した・・・よね?」
「敦賀さんに、ですか?いいえ差し上げてませんが」
「どうしてだ!?」
突然声を荒げた椹に少し驚きながらも笑顔は崩さずキョーコは説明する。
「だって敦賀さん甘いものは苦手だって。なので渡すわけにはいかないでしょう?」
それに、もう全部配ってしまって残ってるのは社長さんようのチョコレートだけですから。
そう笑う彼女に目の前の二人は絶望の表情を浮かべた。
よりによって敦賀蓮をリストから外すとは・・・。
「あ・・・あの・・・?どうか・・・」
二人の様子に何かとんでもないことをしでかしてしまったかと不安に思ったキョーコは途惑いながら二人の顔を交互に見る。
しかしそんなキョーコにお構いなく二人はボソボソと何かを呟くだけだ。
「おや?最上君じゃないか」
「社長!!おはようございます」
いつものど派手な衣装で登場した宝田にキョーコは駆け寄り手に持っていた最後の包みを差し出した。
「チョコレートです。いつもお世話になってしますから」
「おお!!ありがとう。それにしてもあの二人はどうしたんだ」
今だボソボソと何かを相談しあっている二人を見遣り宝田は首を傾げる。
キョーコも同じように首を傾げつつ、自分にもよく事情が分かっていないことを告げた。
「私にもよくわからないんです。敦賀さんにチョコレートを渡してないって言ったらあんな風になっちゃって・・・」
「蓮にチョコレートを渡してない!?それはなんでまた」
「あの、そんなに不思議なことですか?敦賀さんは甘いものが苦手らしいですし、それに他の方々からたくさん貰われるでしょう?ならご迷惑なだけかなと思ったのですが」
椹、社と同じように固まってしまった宝田を不安そうに見上げる。
何もわかってない様子の彼女に溜息を漏らしつつ、社は尋ねた。
「ねえ、キョーコちゃん。材料さえあればすぐにチョコレートを作ることは出来る?」
「ええ。溶かして固めるだけですから。ラッピングも簡単に出来ますよ」
「じゃ、作ってもらえるかな?」
「ええ、それは構いませんが・・・どなたの分ですか?」
「「「蓮の分」」」
三人に声を揃えて言われ、軽く目を見開き驚いた様子の彼女はそれでももう一人分を作った。
そして社に言われるまま敦賀蓮に渡しに行ったのだった。
その後、ものすごい勢いでLMEに超極秘文書が回った。
曰く『最上キョーコより貰ったチョコレートを自慢してはならない。彼女から貰った事実を口外してはならない。彼女からチョコレートを貰えた人間は敦賀蓮のみであることにすること』であった。
(そんな事実を知らず、蓮は一ヶ月お返しを何にしようかと悩んでいたのか・・・)
少しこの担当俳優が可哀想な気もしたが、幸せな様子に水を差す事もない。
蓮、いつかお前の気持ちがキョーコちゃんに届くといいな。
タイトルに偽り有。 06.03.15