ただ想いだけが・・・
いくら人通りが少ないと言っても、そこはTV局。
それなりに人の目はある。目の前に立つ男がもう少し冷静であったならば、俺とこんな廊下で睨みあうなんて真似は絶対にしなかっただろう。
俺たち芸能人には壊してはならない『イメージ』がいつだって附いて回るものだから。
俺とは違って『温和』や『穏やか』そういった言葉で言い表せられる敦賀サンには今の状態は好ましいものではない。
(ま、だからといって俺は譲ってなんてやらねーけどな)
目の前の男のイメージなんてクソくらえだ。
俺にとって何よりも誰よりも大切な幼馴染が泣いてやがる。
そしてその哀しみから救えるのが、悔しいことに、妬ましいことに、目の前のこの男だけだというのであれば、俺はどんな犠牲を払ってだってこいつの目を覚まさせてやる。
敦賀蓮の存在なんて、幼馴染の前では塵芥にも等しい。
俺はもう一度ニヤリと嫌味ったらしく笑って、敦賀サンの胸倉を掴み壁に押し付けた。
でかい音が響き渡り、出来うる限り目を逸らそうとしていた通行人たちがぎょっとして振り返るのが気配で感じ取れたが、俺も敦賀サンも気にはしない。
「なあ。あんた、なんでそんなに怒ってんだよ。
俺にはさっぱりわかんねーんだ。俺とキョーコは幼馴染だ。それはもうすでにこの業界じゃ周知の事実じゃねーか。
今さら俺らが同じ部屋で寝泊まりしたって、真夜中に一緒に歩いてたって話題にもなりゃしねぇ。
俺らがどうにもなんねー仲だってことを、俺らを直接知らない連中ですら知ってるからだ。
なのに、だ。誰よりもキョーコに近いはずのあんたがなぜ、それを疑う?なぜキョーコを信じない?」
俺には理解出来ない。そう言って睨みつけるのと同時に、今度は逆に俺が壁に叩きつけられた。
ゴンッと激しい音がして、目の前が一瞬暗くなりかける。
そんな俺の状態なんて目に入っていないのか、俺を射殺そうとするかのように殺気すら漂わせて、俺を睨みつける敦賀サン。
「わからない、だと?お前が?それは何の冗談だ。
確かにお前と最上さんをよく知らない奴らはそう思うだろう。だが、俺は彼女に近いが故にお前と彼女の間に流れた時間の長さを知っている。
誰にも割り込むことの出来ない、その空気を。
お前の彼女に対する想いを。そして、彼女のお前に対する信頼を」
俺の胸倉を掴み上げる敦賀サンの手が小刻みに震えていた。
それは怒りからか、それとも俺に心情を吐露する屈辱からか。
「俺には決して弱音を吐かない彼女が、お前に対しては何の躊躇もなくその弱さを曝す。
ギリギリまで俺を頼ろうとしない彼女が、お前にはいとも容易く頼る。
その様を見せつけられる度に、俺とお前との違いを思い知る。俺とお前はこんなにも立場が違うのだと。彼女の中での大きさが違うのだと。
こんな無様な俺の気持ちがわかるか」
「わかんねーよ。わかるわけねーだろ。あんたが言った通り、俺とあんたは立場が違うんだから。
それに、よ。あんただって俺の気持ちなんてわかんねーだろ?
どれほど想ってようと、どれほど俺の前で無防備であろうと、絶対に触れてはならない、想いを告げてはならない、そんな俺の絶望が。
目の前で誰よりも大切な女が泣いてんのに、抱きしめることすら叶わねぇ。そんな俺の憤りがてめぇにわかってたまるかよっ」
今俺の中にあるのは、怒りだろうか。哀しみだろうか。それすらもうわからない。
感情が高ぶりすぎて涙を流すことすら出来やしない。
睨みつける気力すら失って、俺は力なく項垂れた。
「好きなら、好きだって言えばいいじゃねえか。あんたは俺と違って言えんだろ?
それが許されてんじゃないのかよ。俺は、もう、あいつにこの想いを伝えることすら出来ねーんだよ。
俺はこの想いを抱えてこれから先、ただずっとあいつの傍にいることしか出来ない。
苦しくて辛いのに、出来ることならあいつから離れてーのに、なのに、離れるとさらに苦しいんだ。
傍であいつが俺じゃない他の男のことで泣いたり笑ったりしてるのを見てるのは痛すぎるのに、それでもあいつの傍にいたいと思っちまうんだ。
俺はあいつが好きだから、だから、俺の隣なんかじゃなくてもいい。
ただ、笑っていてほしいんだよ。幸せになってほしいんだよ」
もう、馬鹿みたいにそんなことしか望んでないんだ。そう呟いた俺に胸倉を掴んでいた敦賀サンの手が力を失った。
「不破・・・」
小さく俺の名前を呟いた敦賀サンはもう何も言わずに、踵を返して歩き去った。
支えていた力が抜けて俺は壁を伝って冷たい廊下に座り込む。
立てた膝に顔を埋め、襲ってくる痛みに歯を食いしばった。
「不破くん」
聞き慣れないが、誰の声なのか分かるほどには聞いたことのある声が俺の名前を呼ぶ。
だが、もう俺には誰の相手をする気力なんて残っていない。
「悪いんだけど、敦賀サンのマネージャー。
あんたに武士の情けがあるんなら、俺のことは放っといてくれ」
しばらく躊躇うかのような気配を発していたが、諦めたのか一つ息を吐いて踵を返した。
そして一言。
「ごめんね」
完全に人の気配が消えてから、俺はゆっくりと息を吐きだした。
「ごめんね、かよ。なんで謝られたんだかわかんねーよ」
なあ、キョーコ。
こんな形でしかお前への想いを貫けない俺を、お前だけは笑わないでほしい。
どれだけ滑稽でも俺は誰よりもお前を想っているから。
お前の幸せを祈っているから。だから、どうか。
季節外れのヴァレンタイン話。の続きのさらに続き 10.10.14