堕ちていく。底なしの闇へと、ただ愛しい彼女を想って。
いつの間に眠りに落ちていたのだろうか。閉じた瞼に感じた微かな陽の光にそっと目を開けた。
そうして横にあるはずの温もりに、昨夜汚し尽くした愛しい存在におそるおそる手を伸ばし、そこに何もないことに気がついた。
慌てて飛び起きて、家中を探し回るけれどその姿は何処にも見えず、彼女がいた形跡すらなかった。
そして俺は後悔する。
どうして、身動きすら取れないほどに彼女を責めなかったのか、と。
もしそうしていれば今朝も彼女に触れることが出来たのに。
もしそうしていればもう二度と彼女を手放さないですむように縛り付けられたのに。
そう後悔する自分に愕然とした。
愛しくて可愛くて守りたかったはずの彼女をあれほどまでに傷つけたと言うのに、その己の成した行為を悔いることすらない自分。
とうとうここまで堕ちてしまったのか・・・彼女だけは愛して守って慈しみたかったのに。
乾いた暗い空ろな笑いが込み上げる。
どうしようもなく一人笑いながら、痛む心臓を押さえる。きっと今の俺はひどく醜悪な顔をしているだろう。
「キョーコちゃん・・・。逃げろ」
逃げてほしい。こんな醜く汚い男に捕まらないように。
きっと次に捕まえてしまったらもう二度と手放せないから。今度こそ君をどこかに閉じ込めて誰にも会わせないように、誰のことも君の視界に入れさせないようにしてしまうから。
君の未来も何もかもを奪ってしまうだろうから。
だから、逃げてほしい。
それでも。
もし、赦されることなら。
俺の傍で笑っていてほしい。
相反する二つの感情に引き裂かれながら、それでも思うことはただ一つ。
こんなにも君を愛してる。
もう二度と手に入れることなど叶わないであろう愛しい人の残り香を求めて、冷たくなったシーツの上に身を横たえ彼女を想う。
声に出せないほどの激情を噛み締めてただ彼女を愛している。
届くはずもないことなど知っているけれど―――。
08.01.30
痛みと哀しみと絶望の果てに見える先。それが希望ならいいのに。
遮光カーテンからうっすら差し込む朝日に目を覚ました私は、見慣れない天井に違和感を覚えた。
こんな天井、知らない。ここは何処だろうか?
そう考えながら起き上がろうとして感じた下腹部の違和感。痛み。
「い、った・・・何?腰が、いた・・・い」
その痛みから徐々に呼び起こされる昨夜の悪夢。
たったひとり、この人だけと思い定めたその人に陵辱されるという哀しみ。
昨夜の出来事が鮮明に思い出されると心に去来するのは、深い深い絶望。そしてこんな扱いを受けても尚、敦賀さんが好きだと叫ぶ私の愚かな愛。
ふ、と横を見ると大好きで大好きでたまらない、そして昨夜私を意思のない人形のように扱った敦賀さんが眠っていた。
敦賀さんの寝顔を見ていると、どうしようもなく怖くなって彼が目覚める前に出て行かなくちゃ。ただそれだけを思った。
いまだ何一つ身に着けていない身体。洋服を探そうと目をあたりにさまよわせると、近くの椅子に軽く畳んで置いてあるのが分かった。
こんなところで彼の優しさを見せ付けられても苦しいだけなのに。
きっとこの人は、私が敦賀さんの何気ない行動そのひとつで天国にも昇る気持になったり、地獄に堕ちる気持になったりしていることを知らない。
だから、こんなにも残酷にもなれるのだ。
そっと、彼を起こさないように、私の身体に出来うる限り響かないように静かにベッドから降りて、急いで服を身に着ける。
少しでも私がいた痕跡がないように、忘れ物がないように、確認して、足音を立てないように部屋を出た。
まだ、朝が早くて人も疎らな閑静な住宅街を、帽子を深く被って涙をこらえながら歩く。
朝日が腫れ気味の目に眩しかった。
泣きながら、どうしようもなく溢れる嘲笑い。
人通りのない道を歩きながら愛しくて大好きでそして残酷な人をただ、想う。
ようやく辿り着いた自分の家で、熱い熱いシャワーを浴びる。
勢いよく降り注ぐそのお湯を顔に浴びながら、私は考えた。
私の何がいけなかったのか。私はどこで間違えたのか。私は彼に何をしてしまったのか。どうしてこんなことになってしまったのか。
けれど、どれほど考えたとしてもわかるはずなんてなかった。
だって、彼のことなど私は何も知らない。どれほど想っても私は彼に重ならない。
空転しかしない頭で考えて考えて、結局心に浮かぶのは彼が好きだというただ、それだけ。
どれほどひどい扱いを受けようが、彼の想いが自分の上になかろうが、私は哀れなほどに彼を好きでいるしかなかった。
熱いシャワーの下にうずくまり、溢れる涙を感じながら脳裏に浮かぶ愛しい人。
唇を噛み締め、胸を締め付ける彼への愛が行き場を失って暴れ始める。
「敦賀さん・・・私は、貴方が、好きです」
届かないことなど、誰よりも私が知っている――。
08.07.10